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演技に感情移入は必要か:ディドロ『俳優の逆説』を訳し直す
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演技に感情移入は必要かという問いに、18世紀のディドロは「名優は感じていない」と答えました。フランス語原文を訳し直し、収録現場で求められる再現性の話として組み直します。
先に答えを書きます。演技に感情移入は必要かという問いに、18世紀のディドロは「卓越した俳優は感じていない」と答えました。私はこの主張を額面どおりには取りませんが、論点の置き方だけは今も使えると考えています。
争点は「感情を込めるかどうか」ではありません。「三度目のテイクでも、同じ芝居を出せるか」です。
引用部の訳: Voice Guild。底本はディドロ『Paradoxe sur le comédien』のフランス語原文(Œuvres complètes、Assézat版、Garnier、1875年所収)を使いました。
既存の邦訳・英訳は開かずに、原文から直接訳しています。参照した版は2026年8月時点でフランス語版Wikisourceに公開されているものです。
ディドロの原文を訳すと、名優は「感じていない」ことになります
この本は対話体で書かれた論争の書です。刊行は1830年で、書かれたのはそれより50年ほど前でした。まず有名な一節を訳します。
極端な感受性は、凡庸な俳優を作ります。ほどほどの感受性は、下手な俳優を大量に作ります。そして感受性をまったく欠いていることが、卓越した俳優を用意するのです。
原語の sensibilité は、感じやすさと訳すのが近い語でした。現代語の「感受性」より、外からの刺激に反応してしまう体質という含みが強い語です。
続く箇所で、ディドロは涙の出どころを分けます。ここが原典でいちばん引用される比喩でした。
俳優の涙は、その脳から下りてきます。感じやすい人の涙は、その胸から上ってきます。
原文は cerveau(脳)と cœur(心臓)を上下で対にしています。日本語の「頭」と「心」に置き換えると、この上下の運動が消えてしまうため、あえて臓器の語を残しました。
争点は「感じるな」ではなく「三度目も同じに出せるか」でした
ディドロがこの主張を持ち出す理由は、感情そのものへの嫌悪ではありません。理由は再現性でした。
初日にはひどく熱くても、三度目には力尽きて、大理石のように冷たくなっているでしょう。
感情に任せて演じる俳優は、同じ芝居を続けられないという指摘です。原典はこの後、反対側の俳優像を示します。
熟慮によって、人間性の研究によって、ある理想の手本にならった変わらぬ模倣によって、想像力と記憶によって演じる俳優は、一つであり、どの回でも同じであり、いつも等しく仕上がっています。
「一つであり」と訳した un は、ばらけないという意味での「一貫している」に近い語でした。ここまで読むと、この本の主題が演技論ではなく品質管理の話だと分かってきます。
つまりディドロの問いは、感情を入れるか入れないかではありませんでした。同じ出力を反復できる状態をどう作るか、です。
収録現場が求めるのは「もう一度、さっきと同じで」です
ここからは私の考えです。まず前提として、声優の仕事は声だけの仕事ではありません。舞台の仕事もありますし、ナレーション、イベントの司会、モデルの仕事もあります。
業界としては俳優や女優と同じ枠にあります。だからこそ、俳優について書かれた原典が声優の実務に届きます。私自身、目指し始めた当時は「声だけ」だと思い込んでいました。
収録の現場で頻繁に飛んでくる指示があります。「もう一度、さっきと同じ温度でお願いします」です。
このとき、直前のテイクが感情の高まりで出たものだと、同じものが出せません。ディドロの言う三度目の大理石が、その日のうちに来ます。
私は毎日の基礎練習を軽く見ていた時期があります。基礎が整っている状態というのは、狙った音を狙ったとおりに出せる状態のことでした。
これが用意できていると、オーディションの一次・二次の足切りは突破しやすくなります。合否を保証するものではありませんが、土台の有無で分かれる部分は確かにありました。
教育の仕事で生徒10人前後を見た範囲でも、同じ差が出ていました。伸びた人は、自分の読みを外から聞けています。続かなかった人は、うまくいった感触だけを頼りにしていました。
感触は再現できません。手順は再現できます。この違いが、半年ほどで差になって現れました。
感情優位の練習と、設計優位の練習を並べました
ディドロの立場を実際の練習に落とすと、次のような差になります。左が感情に任せる進め方、右が原典寄りの進め方です。右の列は原典に書かれた手順ではなく、私が宅録で使っている置き換えです。
| 工程 | 感情優位の進め方 | 設計優位の進め方 | 再現できるか |
|---|---|---|---|
| 録る前 | 台本を読んで気持ちを高める | 狙う温度を1〜5の数字で決める | 数字は残る |
| 1テイク目 | 出たものをそのまま活かす | 決めた数字どおりに出す | 照合できる |
| 直し | 気持ちが乗るまで録り直す | ズレた要素を1つだけ変える | 変更点が1つ |
| 3テイク目 | 疲れて温度が落ちる | 同じ数字を再現する | 同じものが出る |
数字にするのは乱暴に見えますが、あとから照合できる形にすることが目的です。私はこの表の右側に切り替えてから、録り直しの回数が減りました。
再現できるかどうかは、仕事の入口でも差になります。私のナレーションの1件目はクラウドソーシング経由で、報酬は数千円でした。継続で声がかかるようになってから、自分でメールを書いて単価を上げてもらっています。
指名で続く条件は、上手い1本ではありませんでした。頼んだとおりのものが毎回届くことです。
有料の講座や訳書の購入を検討する前に、この表の右側を2週間試すほうが順番として先だと考えています。費用のかかる判断に進むときは、未成年の方は保護者に相談してください。オーディションの準備そのものは声優オーディションを地方在住のまま受ける探し方と準備にまとめています。
この考え方の弱点と、向いていない人
まず原典側の弱点を書きます。ディドロが前提にしているのは韻文で書かれた悲劇で、台詞は日常の会話とはまったく違う様式で発話されていました。
現代のアフレコやナレーションにそのまま持ち込むと、作り物めいた読みになります。私も設計に寄せすぎて、生っぽさを失ったテイクを提出したことがあります。
次に、この本が論争の一方の側だという点です。ディドロは対話体を使って自分の説を勝たせる構成にしており、中立な検証ではありません。反対の立場も読んでおかないと、片側だけを信じることになります。
同じ時代の反対側については、演技が上手くなる方法を原典に探す:コクランの「二重の自分」で扱いました。あわせて読むと、論争の輪郭が見えます。
この進め方が向いていないのは、演じること自体の楽しさが動機になっている人です。設計を先に置くと、最初の数週間は窮屈に感じます。
芝居が好きかどうか、人前で何かをすることが好きかどうかは、技術の前に来る土台でした。そこが揺らいでいる時期に手順の話を足すと、続かなくなります。
翻訳で落ちるものもあります。原文の語り手は「私」と「あなた」で軽口を叩き合っており、断定に見える文が対話の一方の役の発言にすぎない箇所がありました。1文だけを切り出して指針にすると、原典の意図から離れます。
よくある質問
Q. 感情を込めずに読んだら、棒読みになりませんか。
A. ディドロが否定しているのは感情そのものではなく、感情に任せることです。設計した抑揚を身体で出す作業は残ります。
Q. 18世紀の舞台の話を、今のアフレコに当てはめていいのでしょうか。
A. そのままは当てはまりません。使えるのは「同じ芝居を再現できる状態を作る」という一点だけだと考えています。
Q. ディドロとコクランは、同じことを言っているのですか。
A. 立場は近いのですが、力点が違います。ディドロは感じないことの効用を論じ、コクランは自分を二つに分ける仕組みのほうを論じました。
次にやること3つに絞りました
- 台本を1本選び、録る前に「狙う温度」を1〜5の数字で決めて紙に書く
- その数字どおりに3テイク録り、日を置いてから3本を続けて聴く
- 3本の差がどこで出たかを1つだけ書き出し、次の録音で同じ数字を狙う
3本の差が縮まってきたら、ディドロの言う再現性が動きはじめています。地方から進路を考えている場合は地方在住で声優を目指す方法|上京の判断と5年間の総額も参考にしてください。筆者の経歴と掲載方針は運営者情報に記載しています。
参考文献
当サイトは原典を翻訳して配布する場所ではありません。原典を読むための道案内を、日本の声優現場の言葉で書いています。
引用した4か所はいずれもフランス語原文からのVoice Guildによる自訳です。訳文の責任は当サイトにあり、既存の邦訳・英訳の訳語は使用していません。
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Diderot, Denis『Paradoxe sur le comédien』初版 Paris: Sautelet, 1830年刊。底本とした原文はフランス語版Wikisourceの公開テキストで読めます(著者1713-1784年、原文は保護期間満了)
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反対側の議論はコクラン『L’Art du comédien』(1894年刊)にあり、原文はInternet Archiveの公開版で確認できます
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日本語で読める正規の訳書は国立国会図書館サーチの検索結果から辿ってください
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よくある質問
- 感情を込めずに読んだら、棒読みになりませんか?
- ディドロが否定しているのは感情そのものではなく、感情に任せることです。設計した抑揚を身体で出す作業は残るので、出力が平坦になるわけではありません。実際には、狙いを決めてから読んだテイクのほうが振れ幅は大きくなりました。
- 18世紀の舞台の話を、今のアフレコに当てはめていいのでしょうか?
- そのままは当てはまりません。ディドロが前提にしているのは韻文の悲劇で、現代の会話芝居とは発話の様式が違います。使えるのは「同じ芝居を再現できる状態を作る」という一点だけだと考えています。
- ディドロとコクランは、同じことを言っているのですか?
- 近い立場ですが、力点が違います。ディドロは感じないことの効用を論じ、コクランは自分を二つに分ける仕組みを論じました。当サイトではコクランの側も別記事で扱っています。
- この考え方を試すのに、お金はかかりますか?
- 原文はインターネット上で無料公開されており、録音も手持ちのスマートフォンで足ります。有料のレッスンや訳書の購入を検討する段階になったら、未成年の方は保護者に相談してください。